猛暑のあとの秋の訪れ…

2013年の夏は気温40度に迫る日が続いたり、場所によっては超える日も。

更には雨も少なく、水不足なんかも心配され、ふと近くの天王山を見上げてみれば、

「あれ?山が茶色…?」

 

夏の高温や、亜熱帯化しつつある日本に繁殖し始めた虫やウイルス病のせいか、

立ち枯れていた木々が、ここ2~3年で目につき始めてはいたのだが、

この夏に一気に明らかな枯れ木が増え、青々と茂る緑の中に、

ざっと1割くらいは茶色く立ち枯れた木々が!?

 

異様な景色に何となく怖さも感じながらも、自然は正直で、虫や病原菌でさえも、別に悪さをしてやろうと言うつもりもなく、ただ生きようと、子孫を増やそうと、環境に適応している。…たったそれだけの事。

 

けれど「夏の山は緑色」と思い込んでいるからこそ、違う景色を見た時に違和感を感じる。それはまさに、自分のエゴから来ているのだと考えさせられた。

 

 

では、何となく感じた”怖さ”は何?

 

それは、これまで故郷の山を見れば「あぁ、帰ってきた。」と心が落ち着く、いわば「心のスイッチ」が”OFF”になる景色だったものが、ある時、故郷の街へ帰り”あの山”を見上げてみれば…違うのだ。

 

そこには、これまで「ふぅ…」と肩の荷物をおろし、心も体も休まるはずの景色とは違う、「”何か”が変わり始めているのだ」と緊張感をもたせる景色が広がっている。

 

その「もしかすると、心休まる場所は失われようとしているのか…」と感じた不安が、”怖さ”の正体なのではないだろうか。

 

 

 

…自然は正直だ。

 

それは、善いとか悪いとかいう問題ではないのだ。

ただただ、自然は正直なのだ。

 

だから、ふと感じた”怖さ”をそのままにしておけば、それはいつの日か現実の姿になり、いずれ人はその地から追い出されてしまうのだろうと思う。

 

では、自然は正直なのだから、ふと”怖さ”を感じた時に、自然がバランスを保つために、人が何らかの努力をすれば、それはまた正直に自然の姿にあらわれるのではないかとも思う。

 

だからこそ、ただ大地からの恵みを受け取るだけではダメなのだと、ちゃんと返していかなければいけないのだと、夏の熱さから解放されて、ふと我にかえった時に見えた景色が、そう…教えてくれたのでした。

 

変わらず、秋の訪れと共に聴こえてくる虫たちの声。

この静かな夜長を、また来年も迎えられるためにも…。